富良野市の文化財
文化財とは
文化財とは、長い歴史の中で生まれ、育まれ、守り伝えられてきた地域の財産・遺産のことを指します。文化財の種別は文化財保護法によって定義され、国内の文化財を保護・活用する制度が整備されています。
文化財の種別には、(1)建造物や絵画、土器・石器等の考古資料をはじめとする有形文化財、(2)演劇や音楽、工芸技術等の無形文化財、(3)衣食住や信仰、年中行事等の風俗習慣、民俗芸能、民俗技術とこれらに用いられる衣服や器具などの有形・無形の民俗文化財、(4)貝塚や城跡等の遺跡のうち歴史上または学術的価値の高いもの、庭園や橋梁、山岳などの名勝地、動植物や地質鉱物などを含む記念物、(5)人々の暮らしや生業、地域の風土の中で形成された景勝地としての文化的景観、(6)歴史的風致を形成する伝統的な建造物が立ち並ぶ伝統的建造物群、(7)文化財を保存するための保存技術、(8)旧石器時代から縄文から近世の遺跡が埋没分布する埋蔵文化財があります。
*文化財保護法等については文化庁のホームページを参照してください。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/
富良野市の文化財
富良野市内にもこうした各種の文化財があり、本市の歴史上重要な文化財のうち、国の登録1件、市指定4件が保護されています。現在は指定・登録されていませんが、未指定・未登録の文化財の中にも貴重な文化財は数多くあります。随時、調査を進めるとともに、富良野市文化財保護審議会のご意見を頂戴しながら、保護活動に取り組んでいます。
【市内の国登録文化財】
島田家住宅主屋(令和6年3月6日登録)
【富良野市指定文化財】
第1号 富良野獅子舞(昭和44年2月19日指定)
第2号 北海道中央経緯度観測標(昭和46年7月13日指定)
第3号 北大第八農場富良野成墾記念碑(平成15年12月22日指定)
第4号 北大第八農場富良野成墾記念碑(平成15年12月22日指定)
富良野市の文化財紹介資料
富良野市指定民俗文化財 富良野獅子舞 (PDF 1.56MB)
ふらの歴史的建造物ハンディガイドマップ (PDF 7.3MB)
*近年の調査報告は『富良野市博物館報告』をご覧ください。
富良野市博物館 - 体験学習プログラムと発行物 - 発行物/館報 (furano.sub.jp)
国登録有形文化財
●島田家住宅主屋(令和6年3月6日登録)
富良野市中心部の本通りに位置する地元製材所役員の和風住宅。敷地中央南寄りに建ち、建物は平屋建の入母屋造、鉄板葺きで外壁は真壁、腰は簓子下見板張りとする。東に玄関を設けて中廊下を通し、南に続き間の座敷を配して縁を付す。北海道中央部・富良野産の良材を用いた良質な近代和風住宅である。
富良野市指定文化財
●富良野獅子舞(昭和44年2月19日指定)
富山県砺波市五郎丸にルーツをもつ砺波獅子で、頭1・中足6・尾1の8名で舞う百足獅子が、獅子取りと相対して踊る。演目は「宮まいり」、「七五三」、「祇園ばやし」、「吉作」、「狂振り」、「にらみ」で、にらみの獅子取りは青年が演じ、他は3人1組の子どもたちが演じる。鳴物は横笛・太鼓・鐘で構成される。
1909年(明治42年)7月に東北帝国大学農科大学附属第八農場に入植した富山県出身者らが、農場の成墾記念碑(市指定文化財第3号)落成式で初演したことに端を発し、当時は「学田三区獅子舞」と称した。1968年(昭和43年)に富良野獅子舞に名称変更、富良野獅子舞保存会が結成されるとともに、富良野工業高校の学生に保存活動の主体が委ねられ、翌年には富良野市指定文化財第1号に指定された。その後一時休止状態となったが、1984年(昭和59年)市街の青年有志による保存伝承活動が始まり、現在に至る。
●北海道中央経緯度観測標(昭和46年7月13日指定)
1899年(明治32年)から1915年(大正4年)京都大学・新城新蔵博士を中心に、地殻形状と重力測定を国内122カ所で行われた。
1914年(大正3年)「北海道No.114下富良野」測定点として、富良野尋常小学校(現富良野小学校)校庭に、長さ95センチメートル・
幅65センチメートルのコンクリート製の台座を設置、重力測定が実施された。本市のコンクリート工事としては、最も古い時期の事例と考えられる。
1934年(昭和9年)校舎改築の盛土で行方不明となるが、1955年(昭和30年)報道記事で台座が話題となり、同年に再発見。
翌年、北海道の中心地・富良野町にあるこの台座を、「北海道中央経緯度観測標」と名付けて、北海タイムス社「北海道文化財百選」に応募・入選し、記念石標を建立、
「北海道の中心地(へそ)」のシンボルとして広く認知され、1971年(昭和46年)市指定文化財に指定、北海道中心標が建立される。
市民憲章に「北海道の中心標の建つ富良野」と謳われ、「北海へそ祭り」へ発展、まちのアイデンティティとして広く市民に親しまれる。
1992年(平成4年)指定理由の一部を改正した。
●北大第八農場富良野成墾記念碑(平成15年12月22日指定)
北大第八農場は、東北帝国大学農科大学学長・佐藤昌介の献言により、1896年(明治29年)未開の富良野盆地の一部を校有財産として所管したことに始まり、1898年(明治31年)下富良野看守所を設置、小作人3戸の入植を皮切りとして、1901年(明治34)には山部看取所を設置、その後入植者の増加とともに、開墾地も拡大した。
本成墾記念碑は、1909年(明治42年)5月、その開墾がほぼ完了したことを記念して、総戸数734戸を数えた小作人たちが、
苦しい生活の中にも関わらず、資金を拠出して建立した市内最古の歴史的な開発記念碑である。第4号指定文化財の山部
成墾記念碑と同年設置である。本石碑は市内中五区の天満宮境内にあり、軟石を積み上げた台座と石柱で構成される。
農場は、地元住民から「北大第八農場」の呼称で親しまれたことから、文化財名称もこれに従った。
・成墾記念碑額 「沃穣嘉穀」(東北帝国大学農科大学 学長 佐藤昌介)
・台字 「成墾記念碑」(東北帝国大学農科大学第八農場 農場長 南鷹次郎)
・碑文は伊藤廣幾初代所長(主任)による。 *台字と碑文は山部と同一である。
●北大第八農場富良野成墾記念碑(平成15年12月22日指定)
北大第八農場は、東北帝国大学農科大学学長・佐藤昌介の献言により、1896年(明治29年)未開の富良野盆地の一部を校有財産として所管したことに始まり、1898年(明治31年)下富良野看守所を設置、小作人3戸の入植を皮切りとして、1901年(明治34)には山部看取所を設置、その後入植者の増加とともに、開墾地も拡大した。
本成墾記念碑は、1909年(明治42年)5月、その開墾がほぼ完了したことを記念して、総戸数734戸を数えた小作人たちが、
苦しい生活の中にも関わらず、資金を拠出して建立した市内最古の歴史的な開発記念碑である。
第3号指定文化財の富良野成墾記念碑と同年設置である。
本石碑は市内中五区の山部神社境内にあり、軟石を積み上げた台座と石柱で構成される。
農場は、地元住民から「北大第八農場」の呼称で親しまれたことから、文化財名称もこれに従った。
・成墾記念碑額 「沃穣嘉穀」(東北帝国大学農科大学 学長 佐藤昌介)
・台字 「成墾記念碑」(東北帝国大学農科大学第八農場 農場長 南鷹次郎)
・碑文は伊藤廣幾初代所長(主任)による。 *台字と碑文は富良野と同一である。