所在地
〒076-0202 富良野市字東山5047番地
電話:0167-27-2121
ファックス:0167-27-2268
開拓の歴史
富良野村の開設間もない明治32年(1889年)に創設された東京大学農学部北海道演習林は、林内(空知川東岸のニシタップ、ヌノッペ)にある5,000町歩の農耕適地を「林内殖民による森林管理の実験の場」とするために、ドイツの例にならい「林内殖民制度」を設けて入植を進めた。
旧東山村はこの演習林を殖民地として拓かれた郷土で、母村の山部村も札幌農学校(現北海道大学)の第八農場として拓かれたため、分村以前は当時の日本農学を代表する両大学農学部の小作地、全国に異色の「大学村」と称された。
開発が始まったのは下富良野村時代の同39年で、ニシタップ入り口(現東京大学樹木園)に第一苗圃設営、施業開始と同時にオンコ沢で入植試験が実施された。
入植者募集が開始されたのは第八農場が成墾した42年で、翌43年に第一陣の22戸が開墾造材された予定地に開拓の鍬を打ちおろした。「ニシタップ」の地名は「樹木の繁茂する所」と伝承されている。
開拓以前この地区は西達布川口が砂金採取で注目されていたこと、旧十勝国道の刈分け道が砂金沢から楢の木台・霞台に抜けていたこと、熊が特に多い地域で、アイヌの人たちが居住していたことが知られている。
位置と面積
昭和31年(1956年)まで、「東山村」を構成していた地区である。
市の東南部に位置し、西達布川とその支流の老節布川の全流域を版図とする。面積184.9平方キロメートルは市全域の3割に及ぶ。
地勢
東と南は空知川との分水嶺をもって南富良野町、西はおんこ沢で山部地区、北は布部川との分水嶺で麓郷地区に接している。
約23,000ヘクタールの日本最大の研究林、東京大学北海道演習林の樹海景観で知られる本道有数の美林の中に約3,000ヘクタールの美しく肥沃な丘陵畑作地帯が開かれているが、その中央部に神社山・中山の山塊があるため東山・西達布・老節布に三分されて郷土形成がなされてきた。
東山地区は市北西部の富良野市街から約20キロメートル以上離れて生活圏を構成していて、市の支所が置かれ、他に農協支所、警察駐在所、郵便局が置かれている。
学校は中学校1校、小学校1校があり、保育所は1箇所がある。
基幹産業は、小麦、玉葱、とうもろこし、ビートなどを主とした農業である。